迷ってしまいがちな「お香典」について、金額や香典袋の表書きなどをご紹介します。
実は、参列に関する質問の中でも大変多いのが、香典についての質問です。
皆さんが一番迷いやすいことなのかもしれませんね。
というわけで、ここでは、お香典の金額目安や、表書きの方法、ふくさの包み方などをご紹介しましょう。
※ページ下部に、運営者の市川が以前メルマガで発表した「お香典考察」のコラムを抜粋してご紹介いたしますので、ご興味のある方はご覧ください。
【お香典考察】
◆そもそも『お香典』とは、『お香を供える』または『お香の代金を供える』という意味でした。
でも昔は、意味どおりお香やお金をお包みしていたのはごく一部の武士階級の人だけ。
大多数の農民にとってのお香典とは、 お米や野菜などの食料を持ち寄ることでした。
明治時代になってやっと、都市部では、平民でもお金をお包みするスタイルになりましたが、農村部では、戦前(中には今でも)まで食料を香典としていたそうです。
しかし現在では多くのケースで、食事からお香まで、一切を喪家が用意するようになってきました。そういうわけで、その代わりにお金をお包みするようになったんです。
◆昔のお葬式を見てみましょう。
昔のお葬式は、村単位・町単位という、コミュニティごとに行われていました。
誰かがお亡くなりになると、ご近所がワーッと手伝いに来てくれて、何から何まで全て取り仕切ってくれていました。
皆で食べる料理の食材も、各家庭から持ち寄り、喪家の台所を使って料理したのだそうです。
喪家や喪主は今のように忙しくはなく、ただ故人とお別れをしていればよかったんです。
今のような祭壇もなく、ご遺体を入れた御神輿のようなものを担いで、みんなで村を回り、埋葬しに墓地まで葬列(行列)したそうです。
みんなで協力しながらですから、ほとんどお金もかかりません。
そして、村の人たちにいろいろお世話になった喪家は、また別のお宅で不幸があったときに、同じように食料を持ち寄り、お手伝いをする。
これが、今の『お香典返し』と同じ意味合いなんですが、 こうやってお互いに助け合っていたんです。
不幸があった家のために、労働や品物を提供し、助けてもらった家は、またどこかの家で不幸があったときに同じように助ける。
狭い土地の中で、共同体として何十年と共にしてきたからこそ、うまく成り立っていた仕組みなんですね。
◆でも、生活圏が広がった現代は、こんなことはなかなかできないですよね?
参列される方もいろいろな場所から来られますし、ご近所だけでお葬式をする、手伝いしあうということは、ほとんどありえません。
そして、何かとお金がかかる現代のお葬式。
現在のお香典には「みんなで出費の負担を減らしてあげよう」という、相互扶助的な意味合いがあるのも事実です。
労働も食料もお香そのものも、喪家はもう自分で用意しているから、その代わりにお金を使っているんです。
逆に喪家も、相手のお葬式に全て手伝いに行けるとは限らないので、お葬式が終わってすぐにお返しをしておくんです。 で、現金を返すのも何なので、品物になったのでしょう。
いただいたお香典に対して、半返しにしておくと、 向こうの家で不幸があったときに、同額のお香典を包めば、 再度半返しが返ってきてプラマイゼロ。
こういう「横並びの文化」が、今の仕組みを作ったのだと考えられます。
◆こういういきさつで「お香典」というしきたりが出来上がっているんです。
関係の近さで金額が変わるというのも、昔、お互いに手伝いをしていた頃の労働力の大きさによるもののなごりなのかもしれません。
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